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あの日、あの場所で 【8/6に寄せて】
僕は小学6年生。
今は夏休み。
一学期に社会の授業で戦争について勉強した。
僕の家からは遠い、とっても遠い広島という街に原爆が落ちたことも知った。
とてもびっくりした。
とても怖かった。
「広島には平和記念資料館というのがあるから、いつか行ってみるといいよ」先生は言った。
「すぐに行きたい!」と、僕は思った。
家に帰って、お父さんとお母さんに「行きたい」と言った。
だから、僕は今ひとりで広島にいる。
おととい、家を出て…。
郡山の駅までは車で送ってもらったけど、そこからはひとりだ。
新幹線や特急には乗れないから、2日間電車を乗り継いで…。
迷子になったりもしながら、やっと広島についた。
きのうも今日も、泊まるのはユースホステル。
昨日の夜は、独りぼっちで怖かったけど。
今日は、お兄さんが話しかけてきてくれた。
長野県に住んでいる大学生。
夏の間、ひとりでオートバイに乗って旅をしてるそうだ。
きのうまで四国にいて、新しくできた大きな橋を渡って広島に来たんだって。
夕ご飯にお好み焼きをごちそうしてくれた後、平和記念公園に連れて行ってくれた。
「夜になったら出かけないで電話してきなさい」とお母さんに言われていたから、ひとりだったら行かなかった。
公園には、たくさんのお花と鶴の折り紙が飾られていた。
お兄さんとならんで、手を合わせた。
「千羽鶴って言うんだよ」お兄さんが教えてくれた。
周りは暗かったけど、ひとりじゃないし少し離れた野球場からの声援も聞こえてたから怖くなかった。
次の日の朝、ユースホステルで仲良くなったみんなと一緒に平和記念公園へ行った。
きのうの夜と違って、たくさんの人がいてびっくりした。
平和記念資料館も見学した。
いっぱい時間をかけて見学した。
資料館に入るまでは、みんな賑やかだったけど。
中では、誰も何もしゃべらなかった。
泣いているお姉さんもいた。
僕は泣かないように頑張った。
それから、原爆ドームにも行った。
「広島の人は『原爆』は付けずに、ただ『ドーム』と呼ぶんだよ」
昨夜、ユースホステルのペアレントさんに教えてもらった。
建てられた時の名前は、もちろんそのどちらとも違うけど…。
お昼ご飯を食べてユースホステルに戻ったあと、ペアレントさんからヘルメットを借りてお兄さんのオートバイの後ろに乗せてもらった。
生まれて初めてのオートバイ、とっても気持ちよかった。
その夜は、みんなで居酒屋。
「小学生で一人旅なんて、すごいねー!」と何度も言われた。
確かにそうかも。
お店の公衆電話から家に電話をした。
「たくさんのお兄さんやお姉さんと一緒に居酒屋にいる」と言ったら、お母さんはびっくりしてた。
オートバイのお兄さんが近くに来て「電話を代わって」と言った。
受話器を返してもらったら、「よかったね」とお母さんが言った。
次の日の朝、お兄さんは東へ、僕は長崎を目指して西へ、それぞれ出発する。
記念写真を撮って、住所を交換した。
「写真送るね、気をつけて」
ちゃんと握手をしたのも、生まれて初めてかも。
あの夏から30年あまりが経った。
息子があの頃の私と同じ年齢になった。
私は今、タンデムシートに彼を乗せて広島に向かっている。
あの時のお兄さんも、もう50過ぎか。
きっと今でもオートバイに乗っているのだろうな。